「先生のムスメ」〜ジャズピアニスト 深澤芳美 〜
父は数学の先生でした。
生徒の間でけっこう人気があったみたいなので、
父の勤める高校に進学した友達にその理由を聞いてみると、
「だって、わかりやすく教えてくれるし、面白いし、何しろテストの問題がやさしいんだもん!」
という答えが返って来ました。
そんな訳で、決してカッコ良いから人気があったのではないのですが、
我が家に何十人もの生徒が遊びに来たり、
バレンタインデイには、紙袋一杯のチョコレートを持って帰ったり、
文化祭に行くと父の大きな似顔絵が壁に描いてあったりで、
子供の私は自慢に思っていました。
努力家だった父と違い、私は勉強や練習が嫌いで、数学はいつも赤点。
「わかりやすい」という父に教えてもらえば良かったのに、何だかそれも出来なくて、
苦手のまま大人になってしまいました。
そして、数学の先生とピアニストでは、親子で何のつながりもないと、ずうっと思っていたのですが…。
ある時、「あなたのピアノって、わかりやすくて心が和むわ」と人に言われ、
ふと父の「小難しいのは大キライ!
何でも、わかりやすく説明できなきゃダメだよ」という口ぐせを思い出したのです。
「三つ子の魂、百までも」って言うけれど、こういう事なのかと、
その時改めて、父の教師としての姿勢、生き方の素晴らしさに気づきました。
定年まで勤め上げ、その後も時間講師として教壇に立ったので、四十年以上の長い教員生活でしたが、
「若い人といると、自分も若い気分でいられていい。」と言って、いつも楽しそうでした。
そんな父も今年八十歳。今は、母と二人の静かな生活を送っています。
幸い身体は丈夫なのですが、大好きだった囲碁も出来ないくらい目が悪くなってしまいました。
読んだり、書いたり、何しろ勉強が大好きだった人なので、
口には出さないけれど、辛い毎日かも知れないと娘としては心配しています。
でも二十代の頃教えた生徒達が、今でも毎年開いている同窓会によんでくれるそうなのです。
「家まで迎えに来てくれて、帰りもちゃんと送ってくれるのよ。」と自慢する母と共に同窓会の話をする父は、
とっても幸せに見えました。
(2005年10月8日の「東京新聞」の朝刊に掲載されました。掲載時のタイトルは「生徒に人気の素晴らしい父」)